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料理名人だった曾祖母の教え「切り口一寸、一口一寸」。わが家では一寸二分。筍は一寸五分。食べる人の思いやり。

先日、ご近所から頂いた筍の話を書きました。

そのときにも、そして今日、
家人が作ってくれたレタスの
繊切りのサラダを食べながら、
曾祖母のことを思い出しました。

といっても曾祖母は、自分が産まれる前に
亡くなっているので、大叔母や母の口から
聞いて想像した姿ですけれど。

曾祖母は、近所でも評判の料理名人だったそう。

その当時、冠婚葬祭はそれぞれの家で行ない、
家の女性が料理を作っていました。
わが家ももちろんそう。

わが家で法事やお祝いなどをするときは、
普段は顔を見せない遠くの親戚や
ご近所の人が必ず出席したのだとか。

それは曾祖母が作る料理が目当て。
使っている食材は、ご近所のそれと
変わらないのに、どれも絶品だったのだそう。

どこに秘密があったのでしょうか?

そんな曾祖母が、大叔母や母たちに
料理作りのコツをいろいろと
教えてくれたと言います。

自分にもそれが伝わっています。
数ある教えの中で、深く頭の中に残っているのが、
モノの寸法についてです。

筍の煮物を食べた時に、
その教えをまず思い出しました。

それは、「寸切り」、
もしくは「切り口一寸」「一口一寸」
というもの。

お作り、和え物など和食の一口の寸法は、
一寸を目安にするというもの。

一寸は尺貫法の単位で
メートル法でいうとおよそ3cm。

なぜこのサイズかというと、
日本は箸の文化。

西洋はフォークとナイフの文化で、
出てきた料理をナイフで切り、
フォークで口に運びますが、
日本では原則として、
一口大の大きさのものを、
そのまま箸で口に運びます。

簡単に口に入れられる大きさの目安は、
口の横の長さ。

およそ一寸は、大人でも子どもでも、
食材が横になっても縦になっても、
無理なく口に入れられるサイズなんですね。それを頭に入れて、食材を切りなさいと。

大きく切りすぎると、食べにくい。
かといって小さく切りすぎると、
食材そのものの味がわかりにくくなるんだそう。
ものには適性な大きさがあるのだと。

ただ筍のように、歯応えを楽しむものは、
一口でかみきらなくてもよいので、
噛むことを前提に少し大きめに切るのだそう。
(一寸五分ほど)

ただわが家というか曾祖母は、
一寸ではなく一寸二分ほどにしていたそう。
わが家はみんな口が大きいからでしょうか?

そしてそれは作る時だけではなく、
食べる時もそうです、
「一口一寸を意識せよ」と。

一寸より大きくて、一口で口に収まらない場合は、
あらかじめ椀や皿の中で切っておく。
切るのが難しい場合は、箸でたたんで口元に。

そうすると人の目から見ても
きれいに食べられると。

大叔母達によれば、曾祖母の教えは
寸法が大事なのではない。

教えの根本にあるのは、
食べる人への思いやりであると。

その日の天候や健康状態、年齢、
肉体労働をしてきたのか、それとも
家の中で体を動かさないでその日過ごしたのか
などなど、相手のことを思いやり、
それに合わせて、食材を選び、寸法を揃え、
味付けするのだと。

ことこの教えは料理に限らず、
商売をしていたわが家の家業、
さらには人生全体に通じる教えだなと
感じたものでした。

ほうれん草のおひたしを作る時に、
醤油絞りをした後、切っていくのですが、
その時、必ず曾祖母の教えの
「寸切り」を思い出し切っています。

この教えを人生一般に広げたいものですが……。

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料理名人の曾祖母の教え。一寸切り(切り口一寸、一口一寸)。わが家では一寸二分。食べる人への思いやり。



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